京都の変わった地名「読めない地名がいっぱい」

日本には変わった地名の場所はたくさんありますが、わが町京都にも歴史ある変わった地名がございます。私が生まれ育った土地「太秦」もなんて読むの?と何度も聞かれたことがあります。では、京都での変わった名前の地名を紹介したいと思います。

読めますか?この地名。その由来は。

太秦…先ほども出しました、「太秦」読み方は「うずまさ」です。こちらは映画村などで有名ですが、なぜ「うずまさ」なのかというと、平安京以前の京都で、泰氏がこの辺りで居住していました。泰氏がこの辺りで養蚕を行い、天皇に絹を収めた時、うず高く絹を積み上げたところ泰氏の住んで切る地区を「太秦」とと名付けたようです。

帷子ノ辻…こちらも太秦にある地名で京福電鉄(通称=嵐電)の中間駅となっています。こちらは「かたびらのつじ」と読みます。「帷子ノ辻」とは嵯峨天皇の妃檀林皇后が亡くなられ葬儀の時に棺を覆っていた帷子(装束)が風で落ちた場所と言われており、皇后の遺言で、野生動物を救うために没後は埋葬せずに、放置しろと言ったようで、現在の帷子ノ辻の場所に放置されたと言われております。

車折…帷子ノ辻から少し西に行った所にある「車折」は「くるまざき」と読みます。後嵯峨天皇が大堰川(嵐山)へ行幸されるときに牛車の「ながえ」が折れた事がきっかけで「車折」になったと言われております。ここにある車折神社は「芸能の神様」と言われており、たくさんの芸能人がお参りしております。

化野…こちらは奥嵯峨にある「あだしの」と読みます。化野とは「はかない」とか「悲しい」とか言う意味で、昔はここは野ざらしの埋葬地として使われていました。現在は化野念仏寺があります。

不明門通…「ふめいもんどおり」ではありません。「あけずどおり」と読みます。この通りは豊臣秀吉が「天正の地割」に出来た通りで、烏丸松原東入所に当たる因幡薬師、そこから南に延びる道が不明門通です。この通りに突き当たる因幡薬師の南門がずっと閉まっていて、なんで閉まっていたかはわかりません。だからついた名前が不明門通だそうです。

雲母坂…こちらは「きららさか」と読みます。京都市左京区の修学院離宮の脇にある道で比叡山の山頂まで続いている古道です。名前の由来は、京都市内から見るとこの坂から雲が発生しているように見えたからのようです。

鹿々谷…これは京野菜でもある「ししがだにかぼちゃ」の「ししがだに」と読みます。場所は銀閣寺から永観堂の辺りを指しております。天台宗の高僧がこの土地を訪れた時、一頭の鹿が現れ、高僧と案内したという伝承からこの名前が付いたと言われております。

納所…京都市伏見区にある地名で「のうそ」と読みます。納所とは、年貢や収穫物を保管する役人さんのいた場所を指しており、そこの地名になりました。

先斗町…鴨川から西に一筋目の細い路地で「ぽんとちょう」と読みます。名前の由来はいくつか説があり、一つは江戸時代、都の最先端の場所であり、ポルトガル語で先端をポルトと言いそれがなまってポントになったと言われるのと、鴨川と高瀬川に挟まれ、皮と皮に挟まれた堤を連想して、堤の音の「ポン」という音から来てる説もあります。

艮町…これは地元民しか読めませんね。「うしとら町」と読みます。こちらの由来は西本願寺の北西にある地名で方角で言うと丑と虎の間の方角を指していることから「うしとら町」と言うようになったそうです。

椥辻…京都市山科区にある地名で「なぎつじ」と言います。ここには昔大きな椥(なぎ)の大木があったと言われております。この木が大きくていろいろな所から確認できたと言われております。

まとめ

今回上げた地名でもまだまだ代表的な一部で、それなりに有名になっている地名でもありました。その他にも変わった名前の地名がいっぱいあります。京都の色々な歴史が生んだ名前であることは間違いないです。その割には結構簡単につけてるような名前もありました。またまた調べてアップしたいと思います。

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